取手競輪場に神山雄一郎選手のラストランを見に行きました(2024/12/23の日記)

※限られた時間で取り急ぎ作っているのでいろいろ…思いますがよろしくお願いします

取手競輪場に行ってきました。

私が初めて取手競輪場に行ったのは学生時代、そのときを思い出しながら取手駅から向かうことに。

パチンコ屋の金馬車と、ミスタードーナツのあるところが無料バス乗り場だったが再開発…。

開門(10:00)まで大分余裕があり、ゆっくり歩いていくことにしました。まっすぐ行けば着きます。

昔はここから上がっていったものです。

今は南門、開かないのでここを通ることはなくなりました。昔はホームとバックが逆だったので、入ると2C(今の1C)のあたり?割合すぐメインスタンドに着いたような。一般席で高い位置にあり見やすく…ただなかなかの傾斜で怖かった記憶。
新聞1  新聞2  車券1  車券2

今のメインスタンドは、ちょっと残念な感じです…。

いったん降ります。
昔はここから下って駅まで反省会でした…。

駐車場へ。

時間があるので294号から回って正門に向かいました。

さっそく本題に入りましょう。まずは撮影ポイント探しで…メインスタンドはおそらく起立するお客様多く思うように撮れず、ゴールを正面から撮れる1Cスタンドは開放されてなく…2Cスタンドの3角よりで金網を避けれるかになりますが…。

何とかなりそう…ここしかないです。
6R発売中から準備を始めようと陣取ると…

報道陣も準備中でした。

6Rが終わっての選手紹介から声援はもちろん飛びますが、お客様も最後かもしれないと覚悟されているのが分かる雰囲気でした。
私も昔を思い出してというか、昔の感じで「神山~」と呼び捨てで声をかけました。

車券はこの2点しか買えないです。1Rの61期同期車券も添えて(あっせんできる61期全員)。

金網とかぶり、紫原政文のまくりを止める写真は撮っていませんが、肉眼で…一番良い位置で最高の場面を見ることができました。
(2Cのタテ位置、おススメです)

「神山ありがとう!」

おまけ

●横断幕

●特別観覧席に入りました
普段は特観、入りませんが体調崩したくなく6R、7R以外は第一特別観覧席(3F)で落ち着いていました。正門入って左手で、3角付近です。1,700円でしたが、

500円引きの食事券と、茨城支部カレンダーが付いてくるのなら、快適だし十分です。
競走率低いので両隣いてませんでしたし…。
(ただ、いたら神様のブロックは死角で全く見えずに終わるところでしたが)

●食事
メインスタンド2Fの利根レストランでもつ煮込み定食を食べました。

ちょうど混んでいるときに行ったのでテンパってました…一見の私に丁寧に応対していただき申し訳なかったです。
優しい味でした。実質300円なら十分です。

●2Cスタンドは10人程度

屋外でレースを見られるのは、メインスタンドの下と上か、2Cスタンドしかありませんが、2Cスタンドは売場から離れているからか何なのか人が全然(メインスタンドの屋内は、結構いる…)。
カメラマンも少しは来るのかお思いきや…一眼を持っていたのは自分しかいないので、しっかり撮らねばと思いましたよ。

撮るタイミングは分かっても、腕そのものがないのでアレですが、精一杯はできたと思います。

それでは失礼いたします…。

神山雄一郎選手引退にあたりグランドスラム達成の年までの専門紙(赤競)を載せます(2024/12/24作成)

※日刊プロスポーツ新聞社様、いつも本当にスイマセン…
※以前 X にポストしたものも入っています
※途中いらん話も入っているかと思いますが、かいつまんで読んでいただければ
※もう少しうまくまとめたいですが、私の限界です…

※100%正しいことは書いていないと思ってください。きっと大体合っていますが、責任は取れません…

神山雄一郎選手が引退を表明しました。競輪を知り始めた頃にデビューして、現場に行くようになったのはちょうどタイトルを取った年(1993)でした。何度となく現場でレースを見て…勝つのはもちろん、負けて怒号飛ぶのも(ヤジも飛ばしました)…活躍期の姿を思い浮かべつつ、たくさん載せていきます。

手元にあった新聞で一番古いのをまず。
1989/10/09京王閣記念前節準決勝。S級昇格3期目です。バンバン優勝してますね。しかし海外遠征から調子を取り戻せないのか敗退でした。

この頃は私まだ中学生でしたが、父から「カミヤマってのが強いんだ」「カミヤマ、また記念勝ったぞ」「カミヤマは学業も1位だったんだ」何度言われたか(笑)。

当時の記念は3日間開催を2回実施(前後節制)、S級とA級のトーナメント戦がありました。

当時の級班制度
(S級(S1~S3)、A級(A1~A4)、B級(B1、B2)の3層制でした(KPK…競輪プログラム改革構想。2002年3月まで)。S級は上位10%程度で、S1は130人しかいませんでした。A級が55%くらいいて、残りがB級。なので当時のS級はとても強く、A1でもかなりの実力者)

1989/10/27京王閣記念後節最終日

A級は往年の名選手が出てくる楽しみもあったと思います。

1990/01/08立川記念前節決勝。新人王を取ってから優勝ラッシュ。この期(1989年12月)からS1で、2019年後期まで30年キープしたと。

前日の入場者数・売り上げも載せます。

賞金制度
この頃はその競輪場の売上によって賞金が違っていました(1号~5号基準、2014年度まで)。川崎、立川は別格で売れていた印象。客も入りました…。

1990/03/25平塚ダービー準決勝。特別(フルメン)初出場で優出(4着)、この勢いで…とはならず、特別制覇まで案外時間がかかりました。

1991/06/24弥彦ふるさとダービー準決勝。大レースの決勝には乗るが、勝てない頃。

前日の入場者数・売り上げ。

ふるさとダービー
上で何号基準の話をしましたが、地方の競輪場は売り上げが厳しく(場によっては、9車ではなく8車立てでレースをしていた)、ふるさとダービーという大会が89年にできました。場外が多くなり売上も凄いですが、入場者数も(今年の親王牌の最終日よりいずれも多く)。ちなみにこの年が競輪、年間の売上が一番ありました。

1991/09/21高松オールスター2次予選(5着)

秋は不調…この年から吉岡稔真が特別に出場するようになり、優勝は92年前橋ダービーで先を越されます。
ただここからなんですよね。93年宇都宮オールスターを優勝、そこからは毎年大レースを優勝するように。

初めて神山選手のレースを現場で見た話
初めて神山選手を現場で見たのは1993年の京王閣記念でした。宇都宮オールスターを制したのが前月、脚見せではファンの皆さん暖かかったのがレースでは早々に終了の9着、大変なヤジが飛んだ記憶。
(当時は京王閣、どこからでも見ることができ…金網のところをぐるっと回れました。ゆえにヤジは敢闘門に戻るまでずっと…ただそこで終わり、一話完結)
当時の車券、買い方について
現場に行き始めた頃(1993年)の車券の買い方についても。競馬はマークシートでの購入が始まってましたが、競輪は口頭での購入が基本。入場者も多く売場は長蛇の列ができる訳で、買うだけでも結構な思いをした時代でした。
(まあ、締め切った放送あっても何だかんだ買えたような…大らかな時代)
メモが用意してあり、これに書いて渡してもOK。

川崎とか京王閣は往時が大変な入場者だったので、売場の建物が当時はもの凄くたくさんありました…。高度経済成長時にバリバリだったお客さんがまだまだ元気だった頃で、話しかけられるのが怖かったです。
(下ばかり向いてた。それゆえかあまり競輪場の景色を思い出せません…)。
車番連勝式の発売を始める場が1995年9月から少しずつ出て、マークシートも…という感じだったと思います。

1995/10/08京王閣記念初日

3Rまでが車複、4R以降が車単でした。

1996/03/25千葉日本選手権競輪初日

車番を発売している場外では車番連勝式を買えるが、本場に見に行くと枠しか買えなかった大レースもありました…。
ついでに単勝複勝車券も載せておきます。単勝複勝は窓口が2つ程度しかなく、場所を探すのが大変でした。
こうして残していても、どこで買ったのか思い出せない場が少なくないです。

車券の話、終わります。

神山吉岡の時代。

1994/06/07びわこ高松宮杯決勝。

1995/07/31青森全日本選抜競輪決勝。

KEIRINグランプリ95は、名勝負と思います。吉岡稔真優勝、神山雄一郎2着。

この頃は、記念で両者があたることがなく、大レースで対決を見るのが楽しみでした。ただ対決がないまま終わることもあり…それゆえ面白かった時代ですね。

脚は吉岡、組み立て含めた総合力で神山は互角に戦える、そんな感じだったでしょうか。個人的には、吉岡が力を出し切ったら太刀打ちできない印象でしたが、9車で走る競輪、そうはならないとしたもので。
(ただ、これは当時の記憶のみでの評価で、今レースを見てみると神山選手、やっぱり強いです)

映像を見る機会
若い競輪ファンの方は、当たり前のように何度もレースをダイジェストで確認できる環境で始めていらっしゃると思いますが、私が打ち始めた当時(1993年~)は、

・インターネットがない(携帯電話も90年代半ばを過ぎないと普及しない)
・録画をしてもビデオテープなので、何度も見返すレースはほとんどない

競輪中継自体も大レース決勝以外は

・CSスポーツチャンネルの競輪中継、スピードチャンネル(1994年から)
・UHF局

1995年あたりの環境で競輪の映像を見るのはまだまだ大変でした。地方局が競輪に力を入れていないと(群馬テレビが強力でした)、CSを受信する環境がないとテレビで見るのは大変で…現場・場外に足を運ぶしかなかったです。
インターネットはまだ普及してないし動画配信はとても無理な段階。ゆえに1回限りの記憶というのも多いのです。
私は93年以降ケーブルテレビでスポーツ系CSチャンネル、関東全地方局があったので、見ている方です。ただ、ビデオテープの時代で録画していても繰り返し見るのが面倒、今と比べたら…。なので、今当時の映像を見ると全然違った印象を持つことも少なくないです。これは競輪を見るスキルが上がったのもありますが、環境要因も大きいです。

1997/01/27花月園共同通信社杯決勝。アトランタラインですね…。

十文字貴信が出てきてタイトル獲得数、さらに積み上げました。

情報源
この頃、競輪のオフィシャルサイト「競輪らんど」も始まったかと思います。
それまでは新聞の競輪欄が重要で(朝刊はもちろん、その日のデーレースの結果が載っている夕刊デイリー)、他に週刊プロスポーツ(日刊プロスポーツ新聞社)、月間競輪が貴重(週間レースは、当時私知りませんでした…)でしたが、少しずつネットで情報を得られるように。
(もっとも、速度が全然なのでいろいろ落とすとなると大変でした…)
月間競輪
週刊プロスポーツ 何か月かに1回の表紙カラー版
こういうインタビューが良い情報になりました…今読んでも「オッ」ってなりますね

戻ります。少し別の出走表を…同期連携。

1997/10/12京王閣記念後節初日、廣川貞治との連携。

1999/11/13花月園記念後節初日、紫原政文との連携。

両方ともどういうレースだったか、全く思い出せませんが、2人ともまだ現役で頑張っていらっしゃいます。紫原は今期61期S級2名のもう1人です。

撮影について少々。今でこそ撮影OKな競輪場が多くなりましたが、禁止以前に当時はそんな発想すら持つべくもなく…そもそも携帯電話に撮影機能が付いたのが2000年ぐらいですし、お客さんも多く迷惑になりますから。
(怖いお客さんと目が合うのも嫌だったので、競輪場の景色も覚えていないのが多いのが正直なところ…)
2012/08/10 松戸競輪場正門

ガールズケイリンが再開した時も、まだなところがほとんどだったかと。

最後に、1999/03/30静岡日本選手権競輪決勝。

時期的なものか、3月はイマイチの調子が多くこの年も決して…の印象でしたが十文字が駆けての絶好展開、わずかに押し切ってのグランドスラムでした。

グランドスラムを達成するまでも結構な道のりだったと当時は感じていましたが、ここから20年近くトップクラスで走り、S級は35年維持…神山雄一郎選手、本当にお疲れ様でした。そして、これからのご活躍も楽しみにしております。

ありがとうございました。

松戸競輪場に第1回オールガールズクラシックを見に行きました(2023/10/05作成)

※記事を作成するつもりで現場していないため、撮影、場内の確認、事前準備全てにおいて不足している状態で書いていることをお断りします。

10/02~10/04に松戸競輪場で第1回オールガールズクラシックが行われました。私はたまたま初日2日目が休み、最終日も決勝だけ間に合う感じで、3日間現場することができました。
(といっても2日間はクラシックの部が始まる前に帰っているのですが…現場の雰囲気はある程度感じていますので)

JR品川駅中央改札付近より(09/27撮影)

JR北松戸駅改札(外から 10/03、中から10/04撮影)

北松戸駅~競輪場に向かう途中

記念以上のレースでは松戸、入場門のところが特別仕様になりますが、今回は鮮やかでしたね。

(2012/07/14撮影)

ちなみにガールズケイリン復活時の松戸開催時の入場門は…当然ながら通常の状態でした。

入ったところからの通路の柱にクラシック出走各選手が紹介されていました。

この3枚しか撮ってない…好みがばれますね(苦笑)。

他は事業紹介ブースやキッチンカーがいろいろあり…普段は何も気を遣わずさまよえるメインスタンド裏の広場が窮屈という感じで、もうチョット奥のスペースを使っても良いのでは…と感じたりもしました。
(建物内の売り場はそんなに人いないんですけどね…)

イベントはひっきりなしにやっていたようで…最終日の決勝発売中にもやっていたのは驚きました。

日吉辰哉さん、脇本雄太選手、滝沢和典さん
(これもとりあえずの1枚しか撮ってない)

ワッキーの麻雀トークを聞いていたかったけど、撮影スペースを確保できなくなると見て早々に退散、そのまま奥の階段からメインスタンド2階に向かいました(1角で見る場合、人を避けることができるのが良いです)。

メインスタンドの様子については決勝について書きます。

一杯のお客さんで…仕事帰り思しき方も少なからずいました。

G後は声援はもちろん、拍手も目立ち、佐藤水菜への祝福だけでなく、出走各選手へのねぎらいもあったと感じました。

これがバックスタンドから1角まで続くようになると良いのにとも思いました…ガールズケイリン復活当初は、下側ですがバックスタンドも入ることができました。
それがバックに入れなくなり、やがて2Cスタンドも閉鎖され…今節G1だからといえ空けないだろうとは見ていましたが、実際あれだけのお客さんをメインだけは…ないよなあ。
今は売場がなくても車券を購入できる環境ですし、券売機がなくても…大きなレースのときは何とかして欲しいですよね…。
(賑やかにやりたい方々、静かに見たい方、家族連れ…さまざまな客層がそれぞれ楽しめる環境を用意する必要があるのでは…)

ちなみに、2C、バックから見るとこんな感じです。

2012/07撮影

2012/09撮影

2013/07撮影

もう一度上から見たい…。

おまけ

●横断幕

初日にバックスタンドを撮影したのですが2日目確認すると1枚「昨日あったっけ?」の幕が…。

1着に間に合って良かったですね。

メイン側は開会式時の画像で…1枚見えません(初Vの地元刈込奈那なのが痛恨)。

本郷谷健次松戸市長の挨拶時。ガールズケイリンの状況に一定の理解があるのが伝わる話しぶりでした。

開会式は月曜の14:10実施ではこのお客さんの感じでしょうがないでしょう。

●女性審判員

発走指示及び周回板の担当と、打鐘の担当が女性でした。

初日2R

2日目1R

●思うこと

図らずもこの画像をアップした書き込みが相当数リポストされたのですが…ヤジっていた頃が懐かしい。まあ、ヤジる方は外れた腹いせに…それでノーサイドの感覚ですが、許されないと。全くもって解せませんね。

というか、松戸は「ガンバレ」自体の声援も圧があるというか、強烈で…女の子は大変だろうな思いました…。

●車券の成績

xをご覧になっている方は…ですが、初日12打数1安打、2日目12打数1安打、最終日1打数1安打で25の3、もの凄く勝ちました。

3-1 7,670円、3-1-4 39,880円

これで大勝確定ですが、展開の読みは全く違い、前受け奥井-柳原-山原でそのまま駆けるから…でした。実戦は山原が先頭に入ったところで私は「何やってんだか」と思っているのだから話になりません。
強いて良いところを上げるなら、ガールズは33でも初日はそんなに仕掛け早くならないと見ていたので、内寄りで買っていたことでしょうか…。

2日目は6R大分復調してきた石井貴子(千葉)の板車券しか当たらず(7-4 450円 7-4-1 1,320円)…これは松戸でありがちな1強レースの2着は飛び付きで、前に出るなら東美月だろうでこれは真面目に買えば取れます。3着も力通りですがとりあえず1を買う作戦はいつも有力です(周回好位にきっといるので)。
この中途半端な払戻金で、最終日現場することに繋がったのが大きかった。

3-6-1 6,200円

前日の払戻金で車券を購入。読みは尾方-児玉-久米で並んでのブン逃げです。佐藤が強いが周回でより前の位置にいるであろう太田が意識して…で間に合わないパターンは、2日間のデキを見るに久米が児玉の番手まくりを捕らえるだろうと。ただ力で佐藤が上を行く可能性も当然…その場合は準決勝同様吉川が後ろにいてるのでは…で2点押さえたと。
これがまた全然見当違い…全員優勝しか狙っていない組み立てで、周回で位置失った石井が次善の策で佐藤の後ろとなりましたが、結果としてこれが当たるんだから運が良いにもほどがあります。

それにしてもレベルの高い競走で…児玉が一気に仕掛ける競走で番手に切り替えた久米のセンスと脚は凄い…そこからもうひと脚使って、強かったと思います。佐藤については言わずもがな、3角の大外を力強くまくり切る脚は大分上で…トップスピードはそこまで抜けてないかもですが、高いスピードを出せる仕掛けの幅が他とは違う印象でした。吉川はレースが上手、スピード一辺倒のレースより実戦の展開が良いのでしょうが、それでもある程度自分で踏んで届いてくるイメージはなかったので驚きました。車券買っていながらチョット甘く見ていて反省。
(サトミナがチョット強いですが、その次はクメウタなんですかねえ?)

もうチョット読みをしっかりしないといけないですね…。

ほぼ3年ぶりにグダグダの記事を作成しました。期の終盤になるとこちらの更新は難しくなりますが、需要があるようなら時間を見つけて更新しても…と思っています。

それでは失礼いたします…。

ラスト開催in立川(2020/12/29)

※活躍を載せたく、過去の専門紙を掲載しております…

今日は立川競輪場に行ってきました。

初めて現場でレースを見たのは89年…夏休みの家族旅行で父親に連れられた伊東競輪S級シリーズ初日でした。当時中3、トップクラスの選手の名前を少し知っていた程度、当然レースの記憶はほとんど残っていないのですが、2つだけ覚えています。

ひとつは、朝のレースで往年の名選手、高原永伍が全くいいところなく敗れたこと。
もう一つは、最終レースを佐藤仁が強烈な自力で制したことでした。

活躍期の専門紙を2つほど載せます。

1989/09/26 静岡オールスター決勝(競輪専門紙 ひかり様より)
坂本勉が特別初優勝。

この伊東のレースです…1989年は特別決勝2回、記念優勝1回。

2度目の現場は翌年の夏休み、父親に今度は松戸競輪場に連れられ開設記念初日を見ます。主役は滝澤正光、完全無敵でなくなったといえ、まだまだ地元では無敵でしょって頃ですから特選は当然被るのですが、そこで佐藤仁がモンスターを振り切っちゃうんですね…佐々木昭彦に差されての2着。

1990/09/20 宇都宮オールスター初日(日刊プロスポーツ新聞社様 赤競より)

2つのレースが今でも…です。
大学に入って堂々と競輪場に入れるようになった頃には(まだ学生は車券ダメでしたが…)少し力が落ちていましたが、レースを見るのが楽しみだったのを覚えています。

競輪に興味を持ち続けるきっかけとなった選手です。

私のスケジュール上レースを生で見られるのは2日目がラストチャンスということで、見に行きました。本線善方政美の番手、4車のラインができました。

競られはしないが直線の長い立川で2着を死守できるかです。

スタートは愛知勢が取ってくれて前受け、いったん植木貴志に押さえられるが善方がすかさず叩き返して、

伊東拓也がカマすが善方ペース

直線一杯でした。
交わされると思ってましたが、実際なったときは頭が一瞬白くなり、ゴール時の写真を撮るのが遅れました…。

(あと1走ありますが、本当にお疲れ様でした、ありがとうございましたの気持ちです)

おまけ

・食事

豚串モツ

鳥モモ

・立川は撮影OK

しかるべき手順を踏んで撮影できます。SNSへの掲載も悪いことをしていなければ大丈夫です。
1角スタンドが開いており、人も少なかったので他の方に迷惑かけず撮れたかと思います…。

・個人的に期待している中村美那

初めて現場でレースを見ました。自分のタイミングで仕掛けたときのスピードの乗りが悪くなく、徐々に伸びていってほしいと思っている選手です。

(レース見学料として買いますが、やって欲しいレースをしたら車券には…どう買えばいいのか悩みます)

このメンバーでは現状苦しく、前受けしそうな徹底先行石井貴子相手にどうするかと思って見ていましたが…

打鐘4角意を決して仕掛けましたが3番手のヨコまででした。

良く仕掛けました。これが見れれば十分です。
ただ、これだと間違いなく点数は上がらない訳で、来期はもう少し点数をまとめに行かないと苦しくなってしまいます。
(制度が良くない…)

今日は6Rまで見て帰ったのですがチャレンジ戦、どれも良いレースが展開されていて面白かったし、現場でぜひ見て欲しいと感じました。
(今はまたスタートが重要になっているのが選手の動きを見ても分かりますね)

あとスタッフの皆さん親切で、特に若い職員の方は神対応で恐縮でした。

いろいろと書きたことはあるのですが、こんなところで。
それでは失礼いたします…。

松戸競輪場にラストラン(4Rのみ)を見に行きました(2019/12/30)

※松戸は撮影可、SNSは掲載不可とは書いてないが都合の悪いのはダメよという感じですがやります

松戸競輪場に三ツ井勉選手のラストランを見に行きました&撮ってきました。あまりグダグダ書かず、ダダっと載せます。

誘導は宮倉勇。

S回数多い菅原洋輔がしっかり先頭を確保、今節勝負駆けを決めた鈴木栄司が後位を回り、「切れ目」コメントでその後ろを岡崎泰士が周回。

菅原が竹元健竜の上昇を青板B突っ張ると、さらに岡崎がけん制…菅原が打鐘発進は大方のファンの予想・期待する展開だったと思います。

竹元へのブロックはドキッとしました…これは決まらず、番手切り替えを狙った動きも及びませんでしたが、後ろに…しかるべき番手の立ち回りをしての3着、素晴らしかったです。

九州2車にも感謝の思いを込めて1枚…

今期点数だけでいえば67.59、ボーダーを超えているわけで余力を持っての引退ですね。
(対応できる緩急の流れだと一脚使えるので、車券絡み多かったです(37走して15回))

脚見せでは大きな声援が飛ぶと1人力強く踏み込み、ゴール後はファンの声援に軽く応え、バンクを後にしました。
三ツ井勉選手、お疲れ様でした。

掲載料としてこれだけ車券で散らさせていただきました。
(A1,2班決勝はオッズ分かってたら取れてた…)

それでは失礼いたします…。